この記事は僕のメモ帳的なものです。
著しく退屈なものなのですのでそこんとこよろしく。
最近、卒製を手がけるにあたってメタファーというものの再確認を行っています。これ、僕も毎回なんとなくでつかっているので、あまり深く考えることはなかったのですが、今回すこし意識してやらないとわけわかんなくなりそうなんで。
メタファーというのはつまり、象徴のことです。たとえば、鳩=平和とかそういうのです。それがどういう風に文章に絡んでくるのかといいますと
例1 やわらかな日差しの中で、女の子が泣いている。
例2 土砂降りの雨の中で、女の子が泣いている。
こういう二つの文があったとします。
より悲しそうなのはどっち?と聞かれたらおそらく大半の人が例2の方をあげるでしょう。これは、「雨」という単語が、憂い、悲しみなど、負の感情の意味も帯びているからです。「雨」という言葉はもちろん、空から水が降ってくる現象のことを指しますが、しかし同時に、前述のような負の感情の意味も持っています。
このように、言葉は常に本来の意味とは別の意味を1つ以上持っています。ベンツ=金持ちとか銃=怖い、暴力とかです。この二つ目の意味を使って文章に何らかの効果を持たせることを「メタファー」を使うといいます。
というのが僕が習ったメタファーです。こっから先は僕自身の考察に基づくものですので100%あってるとはいえません。あしからず。
このメタファーについて考えた結果
1、文章以外でもつかえる。
2、メタファーは真逆の意味でも使える。
3、先天的なものでなくとも、文章中にメタファーを作ることによって、同じような効果を得ることができる。
という、三つのことに気づきました。
1番はまぁ、当然といったら当然で、絵画なんかでも頻繁に使ってますしね。
問題は2、3番です。
2はようするに、悲しみを強調するために悲しい意味を持つメタファーを使う必要は必ずしも無い、という意味です。
例3 輝く太陽の下で、女の子が泣いている。
という文があります。上の例1、2と比べてほしいのですが、おそらく例1よりも悲しそうに感じられるかと思います。さらに例2と比べると、悲しさの種類が少し違うように感じられるかと。そう思えなかったらごめんなさい。
輝く太陽がメタファーになっているわけですが、明るいとか楽しいとか、強調したいはずの悲しいとは、真逆の意味を持っています。その真逆のメタファーが、ギャップを作って結果的に悲しみを強調するのではないかということです。で、どうやらこういう強調の仕方をすると、強調された単語は少しシニカルなニュアンスを持つようです。以下研究中。
3は少しめんどくさいのですが、このメタファーというのは、先天的なものでなくとも、後天的に植えつけることができるのではないかということです。
たとえば、吉本ばななのキッチン。
この小説の中では、キッチンがメタファーとして描かれています。その意味は、おばあちゃんとみかげさんの昔の日々です。おいおい、キッチンっていう単語にそんな意味はねぇだろ、と思うかもしれません。キッチンという単語にはそういった意味はもちろんありませんが、この小説では、キッチンとおばあちゃんとの生活というものを、強く結びつけて書いています。結果、読んでいるうちに、キッチンという単語を見ると、読者はおばあちゃんが生きていたころの生活を思い出してしまう、ということです。
このように、単語を作品中に強く印象付けることでメタファーにすることができるのではないか、ということです。以下研究中。
つかれたぴょん。